コラム:もう一つの源流――国学と「万世一系」
version 0.1(草案)/ 2026-07-11
出典は文末にまとめている。学術論文ではなく百科事典・出版社解説記事 レベルの出典が中心であり、一次資料(『古事記伝』原文等)での裏取りは 今後の課題である。本コラムは評価を下さず、確認できた事実のみを 述べる。水戸学のコラムと対をなす内容として、 尊王攘夷思想のもう一つの源流である国学を扱う。
中国由来の色を洗い落とし、「日本本来の心」を探す
国学は、江戸時代に発達した学問で、水戸学とは出発点が異なる。水戸学が 『大日本史』という歴史編纂事業(儒教的な史学)から始まったのに対し、 国学は『古事記』『万葉集』『源氏物語』といった日本の古典を、仏教や儒教が入ってくる以前の「日本本来の心」を取り戻す手がかりとして読み直す、文献学的な運動として始まった。
本居宣長という中心人物
国学の担い手として、荷田春満・賀茂真淵・本居宣長・ 平田篤胤の4人が特に重要とされる(「国学の四大人」)。
なかでも中心人物と言えるのが本居宣長(1730〜1801年)である。伊勢 松阪の医師でもあった宣長は、35年をかけて『古事記伝』という 浩瀚な注釈書を完成させ、それまで難解とされていた『古事記』を初めて 体系的に読み解いた。また『源氏物語』の研究を通じて「もののあはれ」 という、日本文学の本質にある感受性の概念を打ち出したことでも知られる。 師にあたる賀茂真淵は、仏教・儒教が伝わる以前の日本古来の考え方に 立ち返るべきだという「復古」の思想を掲げており、宣長はこれを継承・ 発展させた。
平田篤胤:文献学から宗教へ
宣長の死後、その門人を自任した平田篤胤(1776〜1843年)は、 宣長が『古事記伝』で明らかにした「神々の道」を、より宗教的・神学的な 方向へと発展させ、復古神道を大成した。日本古来の純粋な信仰を 尊び、儒教・仏教を強く排斥するこの思想は、都市の町人だけでなく 全国の農村の庄屋・地主層にも広がり、幕末の志士たちにも大きな影響を 与えたとされる。
水戸学との合流
水戸学(儒教的な史学・国家論)と国学(文献学的・宗教的な日本古来 探求)は、出自も方法論も異なる。しかし幕末が近づくにつれ、両者は 「天皇こそが日本の中心である」という一点で合流していく。後期 水戸学の会沢正志斎らは、国学が明らかにした神話的な国のあり方を、 自らの国体論に取り込んでいったとされる。こうして水戸学と国学という 二つの異なる水脈が合わさり、幕末の尊王攘夷思想を形作った。
「万世一系」はどこから来たのか
現代の皇位継承をめぐる議論でもしばしば語られる「万世一系」 (初代天皇から一度も途切れず続く血統)という考え方は、国学が 『古事記』『日本書紀』の神話を読み解く中で明確化していった、 天皇の神聖な連続性というイメージと深く結びついている。この考え方は 明治期に入ると国家の公式教義として制度化される。大日本帝国憲法 (1889年)第一条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定め、 同時期の(旧)皇室典範第一条は 皇位継承資格を男系男子に限定した。 また、天皇を神格化し国家が神道を保護・統制する体制(国家神道)が 明治から昭和戦前期にかけて制度化されていくが、その思想的な土台の 一つに、平田篤胤らが大成した復古神道があるとされる。両者は別物 だが同じ源流から出た産物である、という整理は別コラム で詳しく扱う。
戦後の転換点
この体制は、太平洋戦争の敗戦とともに大きく転換する。1945年12月15日、 GHQは「神道指令」(正式名称:国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、 支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件)を発し、国家による神道の 保護・支援・監督の仕組みを廃止した。続いて1946年1月1日、昭和天皇は いわゆる「人間宣言」(正式名称「新日本建設に関する詔書」)を 発布し、天皇と国民の結びつきが神話や伝統に基づくものではなく、 天皇を現御神(あきつみかみ)とみなしてそれを根拠に日本が他民族に 優越するという考え方も否定した。国家神道の制度そのものの成立過程と 解体後の展開(神仏分離・廃仏毀釈、神社本庁の設立など)は 別コラムで詳しく扱う。
今につながる糸
「万世一系」という言葉そのものは、現在も皇位継承をめぐる議論の中で 使われ続けている。男系継承の維持を主張する立場では、約2600年以上に わたり男系(父方の血筋)で継承されてきたことを万世一系の根幹とし、 女系天皇には歴史上の先例がないことを論拠とすることが多い(この論点の 詳しい経緯・双方の主張は docs/research/male-female-line.md を参照)。
つまり国学が江戸時代に文献学的に描き出した「天皇の神話的な連続性」 という像は、明治の国家神道を経て、戦後にいったん公式には否定された にもかかわらず、言葉としては現代の皇位継承論議の中に今も生き続けている。水戸学が「政治体制としての天皇中心の国家」を用意した とすれば、国学は「その天皇像を支える神話的・情緒的な基盤」を用意した、 と言えるだろう。この二つの潮流が幕末にどう合流し、外圧・武器商人の 介入を経て討幕・明治国家建設に至ったかは 別コラム(明治維新)で扱う。
出典
- 「国学について」國學院大學 https://www2.kokugakuin.ac.jp/kada/joho/joho_suzuki_001.html
- 「本居宣長」Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B1%85%E5%AE%A3%E9%95%B7
- 「平田篤胤」Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%B0%E7%AF%A4%E8%83%A4
- 「復古神道」Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A9%E5%8F%A4%E7%A5%9E%E9%81%93
- JBpress「朱子学、経世論、国学……幕末武士に多大な影響を与えた 『後期水戸学』への系譜」 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/74644
- 「神道指令」Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%81%93%E6%8C%87%E4%BB%A4
- 「人間宣言」Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%AE%A3%E8%A8%80
- 「万世一系」Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E4%B8%96%E4%B8%80%E7%B3%BB
- 衆議院「質問主意書」(古代王権の双系性に関する学説の整理、 男系継承論の現代的論拠の文脈で参照) https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a219178.htm
出典は大学の解説ページ・百科事典・ニュース解説記事が中心で、学術論文 ではない。人物の生没年や著作の正確な位置づけ、特に「万世一系」という 語の成立時期・使用の変遷については、一次資料・学術文献による確認を 今後さらに進めていく。