コラム:「無宗教」はどこから来たのか――廃仏毀釈・国家神道の解体と、天皇の宗教的地位の変遷
version 0.2(草案)/ 2026-07-13
出典は文末にまとめている。学術論文ではなく百科事典・出版社解説記事・ 統計調査レベルの出典が中心であり、一次資料での裏取りは今後の課題 である。本コラムは評価を下さず、確認できた事実のみを述べる。 国家神道と古神道のコラム・国家神道のコラム で扱った神仏分離・廃仏毀釈・国家神道の成立と解体という制度史を、 本コラムでは戦後の新宗教ブーム・オウム真理教事件・「無宗教」という 自己認識の定着まで延長し、天皇の宗教的な位置づけがこの150年で どう変化したかを軸に整理する。「精神的な空洞」をどう評価するか という、より社会学的・哲学的な論点(世俗化は進行の一途なのか、 それとも信仰の新しい形への移行なのか)は本コラムの範囲外とし、 別途扱う。
明治以前:「使い分け」が当たり前だった時代
国家神道のコラムで見たとおり、日本では長らく神道と 仏教が明確に区別されず一体のものとして信仰されてきた(神仏習合)。 神社の境内に寺院があり、神像と並んで仏像を祀ることも珍しくなかった。 当時の人々にとって、「神道か仏教か」を排他的に選ぶという発想自体が 希薄だったとみられる。
廃仏毀釈:最初の断絶
1868年の神仏分離令をきっかけに、各地で仏教そのものを排斥する 廃仏毀釈運動が起こった。薩摩藩では藩内の寺院がほぼすべて廃寺と なり、僧侶全員が還俗させられるなど、地域によっては仏教的な基盤が 実質的に消滅するほどの破壊が生じた(詳細は国家神道のコラム を参照)。
国家神道:天皇を中心とする精神的支柱の制度化
廃仏毀釈が沈静化した後、神道は「宗教ではない」という位置づけの もとで国家の祭祀体系に組み込まれ、皇室祭祀と結びついた国家神道 として制度化された。天皇は「現人神」として、この体制の精神的な 中心に据えられた。国家神道と古神道のコラムで見た とおり、この体制の思想的な土台の一つには、江戸後期の国学が 用意した「復古神道」もある。
敗戦と解体:公式な精神的支柱の喪失
1945年12月15日、GHQの神道指令により、国家が神社を保護・支援・監督 する仕組みは廃止された。翌1946年1月1日には昭和天皇による「人間 宣言」が発布され、天皇が現人神であるという観念は公式に否定された (詳細は国学のコラムを参照)。これにより、約80年間 にわたり国家の制度として存在した精神的な支柱は、公式には消滅した。
空白を埋めた新宗教ブーム
戦後、GHQによる宗教団体法の廃止と宗教法人令の施行により、大幅な 信教の自由と布教活動の自由が認められた。これに、権威構造の崩壊に 伴う社会的な不安定さ、高度経済成長期の農村から都市への人口流入に よる都市下層民人口の膨張が重なり、現世利益を説く新宗教が急速に 勢力を伸ばした。創価学会・立正佼成会などは、昭和20年代後半から 40年代初頭にかけて激しい信者獲得競争を繰り広げ、当時の人々の 「心の支え」としての役割を担ったとされる。
空白に生まれた最も深刻な事件:オウム真理教
新宗教ブームの中には、社会との軋轢を深め、暴力に至った例もある。 オウム真理教は1995年3月20日、東京都内の地下鉄5編成の車内で 神経ガス・サリンを散布し、乗客・駅員ら12〜14人を殺害、約6,300人を 負傷させた(地下鉄サリン事件)。教祖・麻原彰晃(松本智津夫)らが、 教団施設への強制捜査を混乱させる目的で実行したとされる。宗教学者・ 島薗進らは、この事件を、伝統宗教・国家神道の解体後に生じた宗教的 権威の空白の中で、既成の社会秩序と鋭く対立するに至った新宗教の 極端な事例として分析している。海外の研究者イアン・リーダーも、 オウムを日本の現代宗教のパターンの中に位置づけ、単なる政治的・ 犯罪的なテロ集団としてではなく、宗教運動としての性格から生じた 暴力として分析する著書を発表している。
「無宗教」という自己認識の定着
現代の日本人の宗教意識を尋ねる調査では、「無宗教」との回答が 目立つ。統計数理研究所の2013年の調査では「信仰や信心を持って いない」人が7割以上、NHK放送文化研究所の2019年の国際比較調査 (ISSP)では「信仰している宗教はない」との回答が62%に上った。
一方で、同じISSP調査(2018年)では、「死者への祈りを行う」と答えた 人が8割を超えるなど、「無宗教」を自認する人の多くが、神社での 祈願・初詣・厄除けといった宗教的な行動は続けているという矛盾も 指摘されている。複数の論者は、この矛盾について、日本人が「宗教」 という言葉を、特定の教団への帰属という狭い意味で理解しがちであり、 民間信仰・民俗的な慣習としての神道・仏教の影響を「宗教」の範囲外と 見なしていることが背景にある、と分析している。
今の天皇と宗教:法的根拠のない「私的な行為」
この150年の変遷を象徴するのが、天皇自身の宗教的な立ち位置の変化で ある。天皇は現在も、元日の「四方拝」、秋の「新嘗祭」など、年間 約20の宮中祭祀を自ら執り行い、最高位の祭祀者としての役割を続けて いる。しかし、戦前には皇室令によって法的に規定されていたこれらの 祭祀は、戦後、日本国憲法の政教分離原則のもとで皇室令そのものが 廃止され、現在では法的根拠を一切持たない、天皇個人・皇室の私的な 行為として位置づけられている。かつて国家制度の中核だった天皇の 祭祀は、今では公的な裏付けを持たない私的な営みとして、連綿と 続いている。
まとめ
(1) 明治以前の日本では、神道と仏教を排他的に選ぶという発想自体が 希薄だった(神仏習合)。(2) 1868年の廃仏毀釈は、地域によっては 仏教的な基盤を実質的に消滅させるほどの破壊をもたらした。(3) その後、 天皇を中心とする国家神道が精神的な支柱として制度化されたが、敗戦 とともにGHQの神道指令・天皇の人間宣言によって公式には解体された。 (4) 戦後の混乱・高度成長期の都市化を背景に新宗教が急速に勢力を 伸ばし、その中の極端な事例として1995年のオウム真理教・地下鉄サリン 事件が起きた。(5) 現代の日本人は調査上「無宗教」と自認する割合が 6〜7割に上る一方、初詣・死者への祈りなどの宗教的行動は広く続けて おり、この矛盾は「宗教」を狭く定義する自己認識に起因すると分析 されている。(6) 天皇自身の宗教的な立ち位置も、国家制度の中核から、 法的根拠を持たない私的な祭祀へと変化しており、この150年間の 精神的支柱の変遷を象徴している。
この「精神的な空洞」をどう評価するか――近代化に伴う不可避の 世俗化なのか、それとも新しい信仰のあり方への移行の途上なのか ――という、より社会学的・哲学的な論点は、本コラムでは扱わない。 無宗教化した現代日本において、天皇が「祈る人」として持つ位置づけと、 それをめぐる現代の政治的な緊張については 別コラムで扱う。また、「天皇制」という、一見 中立に見える言葉自体の政治的な成り立ちについては 別コラムで扱う。
出典
- 東洋経済オンライン「『日本人は無宗教』と信じる人が気づいてない 真実」 https://toyokeizai.net/articles/-/627356
- 「日本の宗教」Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99
- 上智大学 粟津賢太「新宗教と批判報道――1950年代から60年代における 立正佼成会、創価学会の事例から」 https://jss-sociology.org/research/92/file/188.pdf
- 「地下鉄サリン事件」Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
- 法務省「地下鉄サリン事件について」オウム真理教問題デジタル アーカイブ https://www.moj.go.jp/psia/aumarchive/sarinattack/
- Ian Reader, Religious Violence in Contemporary Japan: The Case of Aum Shinrikyo (University of Hawai'i Press, 2000) https://uhpress.hawaii.edu/title/religious-violence-in-contemporary-japan-the-case-of-aum-shinrikyo/
- 宮内庁「宮中祭祀」 https://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/saishi/saishi.html
- 「宮中祭祀」Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E4%B8%AD%E7%A5%AD%E7%A5%80
出典は百科事典・ニュース解説記事・統計調査・大学リポジトリが中心で、 学術論文そのものではない。特に島薗進・イアン・リーダーそれぞれの 著作の原文、統計数理研究所・NHK放送文化研究所の調査票の詳細設計に ついては、一次資料・学術文献による確認を今後さらに進めていく。