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公開: 2026-07-13

コラム:「天皇制」という言葉はどこから来たのか――32年テーゼと「皇室」という呼び方

version 0.1(草案)/ 2026-07-13

出典は文末にまとめている。学術論文ではなく百科事典・出版社の書籍 紹介ページレベルの出典が中心であり、一次資料(32年テーゼ原文等) での裏取りは今後の課題である。本コラムは評価を下さず、確認できた 事実のみを述べる。国家神道と古神道のコラムで「古神道 も国家神道も、名指しで理念化した営みは近代の産物」という整理を 行ったが、本コラムでは同じ視点を「天皇制」という、一見中立に見える 言葉そのものに向ける。天皇の呼称についての整理 が個人への呼びかけ方を扱ったのに対し、本コラムは制度全体を指す 呼び方を扱う。


「天皇制」という言葉の起源

「天皇制」という言葉は、古代から使われてきた語ではない。昭和初期、 日本共産党系の講座派が、戦前の日本資本主義論争の中で、 非難の意味合いを込めたマルクス主義用語として使い始めたとされる。

評論家・谷沢永一は、著書『「天皇制」という呼称を使うべきでない理由』 (PHP研究所、2001年)で、この語の起源をさらに遡ってコミンテルン (共産主義インターナショナル)に求め、日本に持ち込まれたのは大正 12年(1923年)3月であると主張している。谷沢は「開闢以来、『天皇制』 などという不敬な呼び方は日本語になかった」と述べ、この語を「天皇 陛下ならびに皇室を、憎み、貶め、罵るための用語」と評している。 本コラムはこの評価の当否を判定しないが、谷沢自身が明確にこの語を 批判する立場から論じていることは、読者への情報として明記しておく。

32年テーゼ:「天皇制の廃止」が党の方針になった日

コミンテルンは1932年5月、「日本における情勢と日本共産党の任務に 関するテーゼ」(通称・32年テーゼ)を決定し、同年7月2日の『赤旗』 特別号で発表した。この中で、戦前日本の支配体制を「絶対主義的 天皇制・地主的土地所有・独占資本主義」という3つの要素の結合と 規定し、天皇制廃止を党の方針として明確に掲げた。

興味深いのは、その5年前の27年テーゼ(1927年)では「君主制の 廃止」という、より一般的な語が使われていたことである。「天皇制」 という特定の語が、日本共産党の綱領上で明確に使われるようになった のは、32年テーゼが一つの画期だったことになる。

日本資本主義論争:講座派と労農派

「天皇制」概念は、戦前の日本資本主義論争(1927〜1937年ごろ)の 産物でもある。この論争では、日本資本主義の性格づけをめぐり、大きく 2つの立場が対立した。

  • 講座派: 岩波書店刊行の『日本資本主義発達史講座』にちなむ名称。 明治政府の政治体制を「絶対主義」、社会経済体制を「半封建的地主制」 と捉え、まずブルジョア民主主義革命を行い、それが社会主義革命へと 「転化」するという「二段階革命論」を唱えた。天皇制打倒はこの 一段階目の課題とされた。
  • 労農派: 雑誌『労農』にちなむ名称。明治維新によって既にブル ジョア革命は達成されているとし、次はただちに社会主義革命を目指す べきだとする立場をとった。

本コラムはどちらの学説が正しいかを判定しない。

戦後:中立的な学術用語への転化、それでも避ける人々

戦後、「天皇制」という語は、当初の批判的な意味合いを離れ、「日本 固有の君主制」を指す社会科学用語として、新聞・国会・官庁を含む 幅広い場面で中立的に使われるようになったとされる。

しかし、肯定的な立場をとる論者や、皇室そのものに敬意を払う立場 からは、今もこの語が避けられる傾向にある。前述の谷沢永一のように、 「天皇制」はそもそも「打倒すべきもの」として作られた語であるとして、 戦後もこの語の使用そのものに反対する立場がある。宮内庁(戦前の 宮内省の後身)は、一貫して「天皇制」ではなく「皇室制度」という 表現を用いている。

「天皇制」と「皇室」、何が違うのか

両者はしばしば同じ対象を指す言葉として使われるが、厳密には射程が 異なる。**「皇室」**は、天皇及び皇族(皇室典範 が定める範囲)の総称であり、人物の集合を指す語である。これに対し **「天皇制」**は、天皇を中心に据えた政治・統治の仕組み全体を指す、 より広い政体・制度概念として使われる。前者は皇室典範という法令に 根拠を持つ具体的な人々の呼び名であり、後者は特定の政治的立場から 名付けられた分析概念である、という成り立ちの違いがある。


まとめ

(1) 「天皇制」という言葉は、昭和初期に日本共産党系の講座派が、 日本資本主義論争の中で批判的な意味を込めて使い始めたマルクス主義 用語とされる。(2) 評論家・谷沢永一は、この語の起源をコミンテルンに 求め、1923年に日本に持ち込まれたと主張し、この語を天皇・皇室への 敵対語だと批判している。(3) 1932年のコミンテルン「32年テーゼ」は 「天皇制の廃止」を党の方針として明記した画期であり、その5年前の 27年テーゼでは、より一般的な「君主制」という語が使われていた。 (4) 「天皇制」概念は、講座派と労農派が対立した日本資本主義論争の 産物でもある。(5) 戦後、この語は批判的な含意を離れ中立的な学術 用語として広く使われるようになったが、肯定的な立場からは今も 避けられる傾向にあり、宮内庁は一貫して「皇室制度」という表現を 用いている。(6) 「皇室」が皇室典範に根拠を持つ人々の総称であるのに 対し、「天皇制」は特定の政治的立場から名付けられた、より広い政体・ 制度概念である、という成り立ちの違いがある。

32年テーゼが「打倒すべきもの」とした体制の側が、どのような法(治安 維持法)と末端の社会統制(隣組、「非国民」という言葉)によって 支えられていたかは、別コラムで扱う。


出典

出典は百科事典・出版社の書籍紹介ページが中心で、学術論文ではない。 特に32年テーゼ・27年テーゼの原文、谷沢永一の著書本文、日本資本主義 論争についての一次的な学術文献による確認は、今回到達できておらず、 今後の課題である。