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公開: 2026-07-12

コラム:「令和天皇」はまだいない――諡号・追号と「今上天皇」

version 0.2(草案)/ 2026-07-13

出典は文末にまとめている。学術論文ではなく百科事典・出版社解説記事・ ニュース記事レベルの出典が中心であり、一次資料での裏取りは今後の 課題である。本コラムは評価を下さず、確認できた事実のみを述べる。 「126代」は不変の数字ではないというコラムで扱った 南北朝正閏問題と同じく、「〜天皇」という呼び名そのものが、実は かなり近代になって整理されたものであることを扱う。


「〜天皇」という呼び名は、いつ決まるのか

現代の私たちは「平成天皇」「令和天皇」という言い方をつい使ってしまう が、これは正確には誤りである。天皇の名には大きく2種類ある。

  • 諡号(しごう)、特に漢風諡号: 中国由来の制度で、生前の事績を 称える形で漢字2字が贈られる、評価を伴う呼び方(神武・桓武など)。 神武天皇から持統天皇・元明天皇・元正天皇までの漢風諡号は、学者・ 淡海三船が762〜764年ごろに一括選定したとみられる。この年代が、 『先代旧事本紀』という史書の偽書判定の決め手にもなった (別コラム参照)。
  • 追号(ついごう): 評価を伴わない呼び方。地名、皇居の宮名、譲位後の 御在所(後院)の名、出家した場合の庵号、山陵(陵墓)の名などから とられる(一条天皇・後醍醐天皇など)。

いずれも、本人の死後に贈られる名である。明治以降は「一世一元 (いっせいいちげん)」の制度(天皇一代に元号一つ)が確立し、崩御後に その代の元号をそのまま追号として用いる慣行が定着した(明治天皇・ 大正天皇・昭和天皇)。したがって、在位中の天皇を元号を冠して呼ぶ ことは避けられ、崩御(または譲位後に上皇として崩御)して初めて、 その代の元号が正式な呼び名になる。「令和天皇」は、今上天皇の代の 元号が令和であることから多くの人が予期している呼び名ではあるが、 本人がまだ在位中(または存命中)である限り、まだ正式には存在しない 呼び名である。

在位中は何と呼ぶか――「今上天皇」、その読み方

在位中の天皇を指す言葉が「今上天皇(きんじょうてんのう)」である。 元号を冠さず、まだ決まっていない追号を先取りしない、という呼び方 である。

読み方については、現在は「きんじょう」が広く定着している。一般に 「こんじょう」と読まれることは少ないが、興味深いことにこちらも古くから の読みとして辞書に残っている。皇室研究者の高森明勅氏によれば、 『日本国語大辞典』は見出しを「きんじょう」としつつ「こんじょう」の 読みも併記しており、『広辞苑』第5版にも「コンジョウとも」という 注記がある。さらに、元和9年(1623年)刊行の『平家物語』には 「こんじょう」とルビが振られた例もあるという。誤読と受け取られやすい 読み方だが、辞書上・文献上の根拠がある古い読みでもある、という点は 知っておいて損はないだろう。

実名(諱いみな)で呼ばないのはなぜか

在位中の天皇を、元号でも「今上天皇」でもなく、個人名で直接呼ぶこと (例:今上天皇を「徳仁」、昭和天皇を「裕仁」と呼び捨てにすること)は、 どこまでが問題なのか。

この背景にあるのは、中国由来の「実名敬避俗(じつめいけいひぞく)」 という風習である。成人後の実名を他人が直接口にするのは失礼だとされ、 かわりに字(あざな)などの別名で呼ぶ慣行が中国に古くからあり、これが 日本にも伝わった。天皇の実名は「諱いみな (忌み名)」と呼ばれ、通常は口にしないものとされてきた。特に君主の 諱いみなは公文書でも避けられ、同じ字を使う 臣下の名や地名・官職名までもが改められることさえあったという。

「不敬罪」は、今はもう存在しない

明治憲法下では、天皇・皇族等への不敬な言動を処罰する「不敬罪」が 刑法上の「皇室ニ対スル罪」として存在した。しかし1947年(昭和22年)、 日本国憲法が定める法の下の平等の原則を受け、法律第124号によって この規定は削除された。現在の日本には、天皇・皇族への呼び方を理由に 処罰する法律は存在しない。

つまり、今上天皇を実名で呼ぶことも、法律上は罰せられない。それでも 実際には避けられているのは、法的な強制ではなく、実名敬避俗に由来する 慣習・敬意の問題として続いているためである。天皇制そのものに批判的な 立場や、権威的なものを認めない立場からは、意図的に 諱いみなを用いた呼び捨てがされる場合もあると される。

現在の慣行のまとめ

現代の報道・公文書等でおおむね共有されている呼び分けは、次のとおりで ある。

対象呼び方
在位中の天皇天皇陛下/今上天皇(陛下)
譲位後、存命中の元天皇上皇陛下
崩御後の歴代天皇元号に基づく追号(明治天皇・大正天皇・昭和天皇等)

「前天皇」「現天皇」という言い方は避けられる傾向にある。なお、この 慣行は日本国内に特有のものである。英語圏の海外メディアでは、天皇は 「Emperor」の称号で呼ばれる一方、個人名を用いて"Emperor Hirohito" "Emperor Akihito"のように表記するのが一般的であり、日本国内の 慣行とは対照的である。

明治になって初めて「天皇」になった3人

「〜天皇」という呼び名が近代に整理されたことを最も端的に示す例が、 明治3年(1870年)7月24日、太政官布告第482号によって、同じ日に まとめて諡号を贈られた3人の天皇である(docs/DESIGN.md §1.5でも触れている)。

  • 弘文天皇(こうぶんてんのう): 壬申の乱(672年)の敗者。それまでは 「大友皇子(おおとものみこ)」と呼ばれ、そもそも正式に即位した かどうかも学説上はっきりしないとされる。
  • 淳仁天皇(じゅんにんてんのう): 藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱の後、 称徳天皇によって廃位され淡路国に配流された。廃位されたため、通常 譲位後の天皇に贈られる「太上天皇」の尊号も得られず、それまでは 「廃帝(はいたい)」または「淡路廃帝(あわじはいてい)」と 呼ばれていた(奈良時代の女性天皇コラム、 道鏡事件のコラムも参照)。
  • 仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう): 承久の乱(1221年)の直後、わずか 在位78日で廃位された。即位礼・大嘗祭(だいじょうさい)という正式な 儀式を行う間もなかったため名前自体がなく、それまでは「九条廃帝」 または「半帝(はんてい、在位期間の短さから)」と呼ばれていた。

太政官の記録によれば、明治政府は明治3年5月、神祇官と大学に命じて この3人への諡号を選定させた。仲恭天皇の名は、故・順徳天皇の第三皇子 であったことから「仲」、敬意を表す意味で「恭」の字が選ばれたという。 3人の諡号は同年7月20日に内定し、7月23日に神祇官で儀式が行われ、 翌7月24日、太政官布告によって正式に発表された。この日をもって、 3人は初めて「〜天皇」という正式な名前を持ち、歴代天皇に算入された。


まとめ

「〜天皇」という呼び名は、一見すると古代から連綿と続く自明の呼称の ように見えるが、実際には2つの層でできている。第一に、諡号・追号は 死後にしか贈られないため、在位中の天皇を元号で呼ぶことは本来避けられ、 「今上天皇」という呼び方が用いられる(その読み方一つをとっても、 「きんじょう」「こんじょう」という揺れが今も残っている)。第二に、 弘文天皇・淳仁天皇・仲恭天皇のように、政治的な理由で長らく「天皇」の 名を持たなかった人々が、明治3年(1870年)という近代のある一日に まとめて諡号を贈られ、初めて歴代に加わった例がある。これは 「126代」は不変の数字ではないで扱った南北朝正閏 問題(明治44年)と並び、現在私たちが「当たり前」だと思っている歴代 天皇の枠組みそのものが、近代国家形成期に整理されたものであることを 示す一例である。

さらに、在位中の天皇を実名(諱いみな)で呼ばない 慣行は、中国由来の「実名敬避俗」という文化的な風習に由来し、天皇・皇族への不敬な言動を処罰 する「不敬罪」は1947年の法改正で既に廃止されている。つまり現在、 天皇の呼び方は法律上の強制ではなく、慣習・敬意の問題として続いて いる。この慣行は日本国内に特有で、英語圏の海外メディアでは天皇を 実名で呼ぶのが一般的である。


出典

出典は百科事典・出版社解説ページ・ニュース記事・ブログが中心で、学術 論文ではない。特に太政官布告第482号の原文、および仲恭天皇の命名由来の 出典(『百練抄』等の史料)については、一次資料・学術文献による確認を 今後さらに進めていく。海外メディアでの実名使用の慣行についても、 複数の解説記事に基づく一般論であり、主要各社(BBC・ニューヨーク・ タイムズ等)の個別のスタイルガイドまでは確認できていない。