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公開: 2026-07-12

コラム:太陽神は女性だった――天照大神、国学、そして「元始、女性は太陽であった」

version 0.2(草案)/ 2026-07-12

出典は文末にまとめている。学術論文ではなく百科事典・出版社解説記事・ 論者個人のブログ記事レベルの出典が中心であり、一次資料(『古事記』 『日本書紀』原文等)での裏取りは今後の課題である。本コラムは評価を 下さず、確認できた事実のみを述べる。国学のコラムが 描いた「神話がどう『万世一系』という思想に体系化されていったか」を 踏まえ、その神話の中心にいる天照大神の性別と、それが現代の皇位継承 論議とどう関わるのかを扱う。


天照大神は、なぜ「女性」とされるのか

日本神話の最高神であり、皇室の祖神とされる天照大神(あまてらす おおみかみ)は、一般に女性の神として語られる。皇室制度を専門とする 研究者・高森明勅氏は、これを裏づける根拠として次の点を挙げている。

  • 『日本書紀』での神名表記の一つ「大日孁貴」(おおひるめのむち) に含まれる「孁(女偏に霊)」の字、および『万葉集』に見える 「日女之命(ひるめのみこと)」という表記が、いずれも女性を示す ものであること。
  • 弟神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)が高天原を訪れた際、天照大神が 髪型を男性のように結い直し、武装して迎え撃つ姿勢をとったと 『日本書紀』が記していること(このくだり自体が、天照大神の 「通常の姿」が女性的なものであったことを前提としている、という 読み方)。
  • 素戔嗚尊から天照大神が「姉」と呼ばれていること。

これらを根拠に、高森氏は天照大神が明確に女性として描かれていると 結論づけている。

国学が神話を体系化し、「万世一系」を生んだ

国学のコラムで見たとおり、江戸時代の本居宣長は 35年をかけて『古事記伝』を著し、それまで難解とされていた『古事記』 の神話を初めて体系的に読み解いた。この文献学的な作業を通じて、 天皇の神聖な連続性という「万世一系」のイメージが明確化されて いったとされる。

このイメージは明治期に入り、大日本帝国憲法(1889年)第1条「大日本 帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」として国家の公式教義になった。 同時に、同時期制定の(旧)皇室典範 第1条は皇位継承資格を男系男子に限定した。つまり、国学が神話を読み解いて描き出した「天皇の連続性」 というイメージと、その連続性を実際にどう継承させるかという制度 (男系男子限定)は、同じ明治期に、別々の理路を経て、ほぼ同時に 確定した。

平塚らいてうと「元始、女性は太陽であった」

1911年(明治44年)9月、女性だけの手による文芸誌『青鞜』が創刊 された。その巻頭を飾ったのが、当時25歳の平塚らいてうによる 一文である。正確には「元始、女性は実に太陽であった。真正の人で あった。今、女性は月である。」というもので、「原始」ではなく 「元始」と書く。一晩で書き上げたと伝えられ、以後、日本の女性解放 運動を象徴する言葉として広く記憶されている。

なお、この一文が天照大神を明示的に指して書かれたものかどうかは、 今回の調査で確認できていない。太陽神が女性とされる日本神話の イメージと重ね合わせて読まれることは多いが、それが平塚自身の 意図だったと断定できる記述には、今回到達できなかった。

天照大神は女系継承を正当化するか――現代の論争

天照大神が女性であるという点そのものにはあまり異論がない一方、 「だから女系継承にも歴史的正統性がある」と言えるかどうかについては、 論者の間で見解が分かれている。

  • 高森明勅氏(國學院大學講師、著書に『「女性天皇」の成立』、 2005年の「皇室典範に関する有識者会議」ヒアリング出席者)は、 中国由来の男系的価値観が入ってきた後の時代に成立した『日本書紀』 においてもなお、皇祖神が女性として明記されていた事実を重視し、 女性・女系の重要性が日本の神話の中に本来組み込まれていたことの 表れだと論じている。
  • これに対し、男系維持を主張するブログ「事実を整える」(2017年5月 11日の記事)は、天照大神と素戔嗚尊はそもそも通常の親子関係では なくイザナギから単独で生まれたとされる存在であり、血統論を そのまま当てはめられるかは疑問だと指摘する。そのうえで、日本を 実際に統治し始めたのは天照大神ではなく孫の邇邇芸命(ニニギ、 男神)からであり、以後は一貫して男系で継承されてきたと主張し、 「女性の神=女系容認の根拠」という理路そのものを退けている。 同記事はまた、神話を根拠に現実の制度を正当化したり否定したり すること自体に注意が必要だとも述べている。

本コラムはこの論争のどちらが正しいかを判定する立場にない。天照 大神が女性として描かれていること自体は複数の一次資料的記述 (神名表記等)から確認できる一方、それが現代の皇位継承制度に どう関わるかは、確認できた事実の範囲を超えた解釈・立場の対立で ある、とだけ記録しておく。

伊勢神宮:天照大神を祀る「本宗」に、今も政治家が参拝する

天照大神を祀る中心的な神社が、三重県伊勢市の伊勢神宮(正式名称 「神宮」)である。内宮(皇大神宮)に天照大神を祀り、神社本庁は これを、全国約8万社のうち約7.8万社が加盟する神社本庁の 「本宗」(ほんそう)と位置づけ、「日本人の総氏神」と説明して いる(「総本山」は本来仏教寺院の用語だが、神社についても同様の 意味合いで通俗的に使われることがある)。

現職の首相が新春に伊勢神宮を参拝することは、戦後の慣例として 定着している。1965年、佐藤栄作首相が就任報告として参拝したのが 起点とされ、1967年以降はほぼ毎年、歴代首相(自民党・非自民党の 政権を問わず)による新春の恒例行事となった(1995年の村山富市 首相は例外的に参拝しなかった)。近年では2026年1月5日、高市早苗 首相が就任後初めての伊勢神宮参拝を行っている。この慣例に対しては、 日本共産党などから「政教分離の原則に反するのではないか」という 批判が繰り返し出されている。

神話のどこまでを「事実」として扱うか――欠史八代という、もう一つの論点

天照大神の性別が詳しく論じられる一方で、あまり争点にされない論点が もう一つある。皇室の初代とされる神武天皇、およびそれに続く 第2代・綏靖天皇から第9代・開化天皇までの8人、いわゆる 「欠史八代(けっしはちだい)」の実在性である。この8人は、 系譜(誰の子で誰を娶ったか)は記紀に記されているものの、在位中の 具体的な事績の記録をほとんど欠くことから、この名で呼ばれる。 超長寿の伝承や、この年代設定の背景にある「辛酉革命説」については 別コラム(欠史八代)で詳しく扱う。

本サイトの設計方針(docs/DESIGN.md §1.4)では、神武天皇から 開化天皇までについて、公式の代数とは別にhistoricity(実在性) というフィールドを設け、legendary(伝承上)・semi-legendary (実在の可能性が論じられる)として扱うことにしている。学術的には、 神武天皇をはじめとするこの9人の実在を直接裏づける同時代の史料は 確認されておらず、記紀に記された神武東征などの物語は、一般に神話・ 伝承として扱われている。

それでも、この9人は現在の皇統譜における「公式126代」の数え方の 中に、他の天皇と全く同じ形で含まれている。本サイトの設計方針 (docs/DESIGN.md §1.5)が指摘するとおり、この「126代」という 数え方自体、古代から不変だったわけではなく、明治から大正にかけての 約50年間に、近代国家が皇統を法制化・体系化する過程で確定した ものである。実在性への学術的な疑義があるかどうかにかかわらず、 欠史八代を含む126代という数え方そのものは、今日「正史」として 扱われている。

天照大神の性別をめぐる議論では、記紀の記述が「何が書かれているか」 という点で細かく検討される一方、欠史八代を含む神武天皇以降の 皇位継承の実在性そのものについては、男系継承を主張する側・女系 容認を主張する側のいずれからも、あまり争点として取り上げられて いないように見える(今回確認できた範囲では、いずれの立場の論者も、 神武天皇以降の皇位継承を前提とした議論を展開している)。神話の どの部分を史実相当として扱い、どの部分を「そのまま現代の制度論に 持ち込むべきではない神話」として扱うかという線引きは、論者によって 一様ではない、ということだけは、確認できた事実として指摘できる。


まとめ

天照大神が女性として描かれていること自体は、神名表記や『日本書紀』 の記述から比較的よく裏づけられる。この神話を、江戸時代の国学 (特に本居宣長)が文献学的に体系化したことで「万世一系」という イメージが明確化し、明治期にそれが大日本帝国憲法の条文になると 同時に、皇位継承は(旧)皇室典範によって男系男子に限定された。 平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」(1911年)は、この同じ 神話的イメージを女性解放の言葉として読み替えた例として広く知られて いるが、天照大神への明示的な言及があったかどうかは確認できていない。 天照大神の女性性が女系継承の歴史的根拠になるかどうかは、現在も 論者の間で見解が分かれており、本コラムはどちらの立場も判定せず 併記するにとどめる。天照大神を祀る伊勢神宮は神社本庁の「本宗」と 位置づけられ、歴代首相(多くは保守系政権)による新春の参拝が 戦後の慣例として続いている。あわせて、皇室の初代・神武天皇から 第9代・開化天皇までの「欠史八代」の実在性という、もう一つの 「神話をどう扱うか」という論点についても触れた。学術的な実在性 への疑義とは別に、この9人は現在も「公式126代」という数え方の中に 含まれて おり、これが今日「正史」として扱われている。

国学と「万世一系」の成立過程については国学のコラム、 男系・女系をめぐる各論者の立場の全体像については docs/research/male-female-line.md を参照。


出典

出典は個人のブログ・Wikipedia・出版社解説ページ・ニュース記事が 中心で、学術論文ではない。特に高森明勅氏の主張の根拠となっている 『日本書紀』原文箇所、および平塚らいてうが天照大神を意識していた かどうかについては、一次資料・学術文献による確認を今後さらに 進めていく。