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公開: 2026-07-13

コラム:女性天皇、江戸時代の二人――明正天皇・後桜町天皇と「結婚しなかった」という共通点

version 0.2(草案)/ 2026-07-17

出典は文末にまとめている。学術論文ではなく百科事典・出版社解説記事・ ニュース記事レベルの出典が中心であり、一次資料での裏取りは今後の 課題である。本コラムは評価を下さず、確認できた事実のみを述べる。 道鏡事件のコラムで「称徳天皇のあと約860年途絶えた 女性天皇が、江戸時代にどう復活したか」を、和気清麻呂の物語と合わせて 概観した。本コラムでは、その復活の当事者である明正天皇・後桜町天皇 そのものと、二人に共通する「結婚しなかった」という事実が、現代の 皇位継承論議とどう関わるのかを、切り出して詳しく扱う。江戸時代の 即位の経緯(紫衣事件、五摂家の協議等)そのものは 道鏡事件のコラムに譲る。


駆け足のプロフィール

明正天皇後桜町天皇
公式代数第109代第117代
在位1629年12月22日〜1643年11月14日(数え7歳で即位)1762年9月15日〜1771年1月9日(数え23歳で即位)
父後水尾天皇(第108代)桜町天皇(第115代)
母徳川和子(東福門院、2代将軍徳川秀忠の娘)二条舎子(青綺門院)
生没年1624年〜1696年1740年〜1813年
結婚生涯独身生涯独身

(代数・在位期間・父母は本サイトのデータベースの記録による。生没年は 西暦換算。)

系図で見る「男系の女子」

明正天皇の父は第108代・後水尾天皇、後桜町天皇の父は第115代・桜町 天皇である。つまり二人とも、父をたどれば直接天皇に至る 男系の女子にあたる(用語集「男系・女系」の 定義に照らした分類)。

明正天皇は、父・後水尾天皇に生存する男子がいなくなったために 即位した。後水尾天皇の男子には高仁親王(1625〜1628年、満3歳で 夭折)と、誕生直後に死去した男二宮がいたが、いずれも1629年の 践祚以前に世を去っており、直系に残った最年長の子が興子内親王 (のちの明正天皇)だった。傍系の宮家(伏見宮家など)に男系の 男子がいた可能性はあるが、「現天皇の直系を優先する考え方が 強かった」とされ、傍系より直系の女子が選ばれた。この構図(直系の 女子と傍系の男系男子のどちらを優先するか)は、2026年の皇室典範 改正で焦点となった論点と構造的に類似する先例であり、詳しくは 皇室典範改正2026のコラムで扱う。

後桜町天皇は、異母弟である第116代・桃園天皇が 22歳で急死した際、桃園天皇の遺児(のちの後桃園天皇)がまだ5歳 だったための「中継ぎ」として即位した経緯があり、この即位の背景の 詳細は道鏡事件のコラムで扱っている。

8人10代、全員が「結婚しなかった」という事実

Wikipedia「女性天皇」の記事は、明正天皇・後桜町天皇について 「両者とも生涯独身であり、子を儲けなかった」と明記している。さらに 同記事は、歴代の女性天皇全般について「生涯独身あるいは皇族と結婚 した未亡人のどちらかであり、即位後に結婚および出産した者はいない」 とも述べている。つまり、推古天皇から後桜町天皇まで確認されている 8人10代の女性天皇(推古天皇・ 奈良時代の女帝たちのコラム、および本 コラムで扱う明正天皇・後桜町天皇。歴代外の神功皇后については 別コラム参照)は、即位後に結婚して子をもうけた 例が一人もいない。

この点をめぐっては、現代のメディアでも議論がある。All About ニュースの記事は、この「即位後は結婚しない」という慣行を「不文律」 と呼び、21世紀にこれを女性天皇に求めることが「人権侵害」だという 反発を招きうると論じている。一方で同記事は、もし結婚・出産が認め られれば、その子が皇位を継ぐという、歴史上前例のない「女系天皇」が 誕生することになる、という懸念も紹介している。本コラムはこの 論争のどちらが正しいかを判定しない。両論の詳しい整理は 皇室典範改正2026のコラムを参照。

今回(2026年)の皇室典範改正が復活させるのは、この二人の役割ではない

皇室典範改正2026のコラムで見た とおり、2021年の政府有識者会議が提言し、2026年に法制化が進んだのは 「女性皇族の婚姻後の身分保持」案である。これは婚姻後も皇族の身分を 保持できるという規定にとどまり、女性皇族本人にも配偶者・子にも 皇位継承権を与えるものではない。

これを明正天皇・後桜町天皇と比べると、両者の性格の違いが明確になる。 江戸時代の二人は、身分を保持しただけの存在ではなく、天皇として 実際に即位し、公式代数(第109代・第117代)を持つ統治者だった(在位 中の実権の所在は道鏡事件のコラムを参照)。つまり 2026年の改正案は、明正天皇・後桜町天皇のような「女性天皇」そのものを 復活させる制度ではなく、あくまで女性皇族の身分保持にとどまる、より 限定的な措置である。この違いは、今回の改正をめぐる論議を理解する うえでの前提として押さえておく必要がある。

後桜町天皇、42年におよぶ上皇としての助言役

後桜町天皇は1771年、成長した英仁親王(後桃園天皇)に譲位したのちも 1813年に没するまで42年間存命だった。この間、1779年に後桃園天皇が 皇子を残さないまま崩御すると、傍系の閑院宮家から迎えられた幼い 祐宮(さちのみや、のちの光格天皇)の後見役を務め、「幼主をよく 輔導した」と伝えられる。1789年の尊号一件でも光格天皇を諭す役割を 果たしたとされ、「国母」と呼ばれた(経緯の詳細は 道鏡事件のコラムを参照)。ある解説記事は、後桜町 天皇が自らの血筋を皇統に残さなかった代わりに、光格天皇への教育・ 助言というかたちで影響を残したと評価しているが、これは一つの 解釈であり、本サイトはこの評価の当否を判定しない。


まとめ

(1) 明正天皇(第109代、1629〜1643年在位)と後桜町天皇(第117代、 1762〜1771年在位)は、称徳天皇以来約860年ぶりに即位した女性天皇で、 ともに父をたどれば天皇に至る「男系の女子」である。(2) 二人とも 生涯独身で子を儲けなかった。これは歴代8人10代の女性天皇すべてに 共通する事実であり、即位後に結婚・出産した例は記録上一人もいない。 (3) この「即位後は結婚しない」という慣行を現代にどう位置づけるかは 論争があり、人権上の問題とする見方と、女系天皇の誕生を防ぐ意味が あるとする見方の両方が存在する。本コラムはどちらが正しいかを判定 しない。(4) 2026年の皇室典範改正で進んだ「女性皇族の身分保持」案は、 女性皇族本人・配偶者・子に皇位継承権を与えるものではなく、実際に 即位して統治者となった明正天皇・後桜町天皇のような「女性天皇」を 復活させる制度ではない。(5) 後桜町天皇は譲位後42年にわたり上皇として 存命し、後桃園天皇・光格天皇という二代の若い天皇を後見した。 (6) 明正天皇は、父・後水尾天皇の男子2人がいずれも即位前に早世し、 直系に生存する男子がいなくなったために即位した。傍系の宮家に 男系男子がいた可能性はあるが、直系の女子が優先された。この 直系・傍系のどちらを優先するかという構図は、2026年の皇室典範 改正で焦点となった論点(皇室典範改正2026のコラム 参照)と構造的に類似する先例である。


出典

出典は百科事典・ニュース記事・個人運営の歴史解説サイトが中心で、 学術論文ではない。特に「即位後は結婚しないという慣行」の起源・ 拘束力(法か慣習か)、および後桜町天皇の光格天皇への影響の評価に ついては、一次資料・学術文献による確認を今後さらに進めていく。 代数・在位期間・親子関係は本サイトのデータベース(Wikidata由来、 L0段階)による。